私たち宮城県美術館に期待と関心を寄せる有志グループでは県有施設の再編にかかる基本方針の策定を進めている宮城県(震災復興・企画部 震災復興政策課)から県側としての説明と併せて意見聴取を実施したいとのお申し出を受け、この機会に、アンケート調査の結果をふまえて、宮城県に対する質問を用意させていただきました。下記に掲載する文面(含.英訳版)は、その全文となります。後日に予定される面談の際に回答をいただく予定となっております。また、この件に関するメールによる連絡の経過は下記のとおりですのでご参考としてそのまま公表させていただきます。なお、回答内容についても要約や編集を加えずに公表させていただくことで宮城県のご了解もいただいており、このサイトの下に掲載してあります。
そのような経過をふまえて、以下お読みいただければ幸いです。

県庁への質問

 宮城県知事様はじめ、県庁の方々の新型コロナウィルスへのご対応に心より感謝申し上げます。そのような切迫した状況の中、こうして少しでも意見を交換しようとして下さりありがとうございます。念のため、確認なのですが、宮城県美術館に関しては、移転、現地でのリニューアル案と両方検討されていて、まだ決定ではないということは間違いないでしょうか?

 質問させていただくに先立ち申し上げておきたいのですが、新型コロナを受けてドイツでは、モニカ・グリュッタース文化相が「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と表明しておりますが、私どもも同じように考えております。そのため、美術分野はもとより音楽や舞台芸術関係者の方々、建築関係の方々に対しても同じように敬意をはらっております。特に音楽、演劇関係の方々はかつてない苦難の真っ只中におられるとお察ししており、事態が少しでも良い方向に進むように心から願っております。

 それでは、私どもが昨年12月に実施させていただいたアンケート調査と結果を公表させていただいた立場から、回答を寄せられた方々に代わって質問をさせていただきます。長文にわたってしまいますが、趣旨にご理解をいただければ幸いです。ご覧いただいていると思いますが、アンケートの回答は膨大な量があるため、美術館の建物やまちづくり、行政の進め方などについてはすでに各分野でいろいろな方々が要望書等出しておられますので、私どもは美術館そのものについての部分のみ、質問させていただきます。アンケートをお答えいただいた方には小学生も含まれますので、なるべくわかりやすく優しい言葉を用いるように努めますので、ご回答もそのようにしていただけましたら幸いです。

 私どもの質問はただひとつです。美術館の正面玄関に設置された8本の柱などからなる作品「マアヤン」の作家、ダニ・カラヴァン氏に今回のことについて連絡をとっていらっしゃるか、否か、連絡済であるとすればどのようなお答えを得ているのか、また連絡を取っていないとすればどういった理由からかということです。

 移転の方針が決定された場合、美術品所蔵の作品については建物外部にある立体作品もすべて移転されるものと思うのですが、正面入り口にあるダニ・カラヴァン氏の「マアヤン」だけは建築との一体性があり、また動かすことで作品の意味が全く失われますので移転は不可能と考えられます。ダニ・カラヴァン氏はご高齢ですがご存命です。ご本人、または代理人には、現在4分の1の確率で壊される可能性があることはお伝えしているのでしょうか?今回、国の補助金を受けて移転集約となると、5年以内に、もとの建物は壊さないといけないことになっているとお伺いしました。

 そして、残り4分の1の確率は「売却して作品は残る」可能性です。しかし、売却先がどこかによって、任意で現状に何らかの手が加えられる可能性があります。購入した場合でも、作品の著作権は作家にあり、作品には同一性保持権というものがあります。それは著作物の内容と著作者を紐づけることで、著作者の人間性を正確に表現する著作者人格権です。具体的には写真のパロディなどではどのような理由で手が加えられるとその権利が侵されるのかをめぐって実際に裁判が起こっておりますし、その他にも、いくつか裁判の例はあります。

 作品の制作と設置に際して宮城県との契約がどのように交わされたのかはわかりませんが、39年という短い期間で美術館のためにつくられた作品がそのような事態に直面するということは、作家自身にとって予想もしないことなのではないかと思います。アンケートにお答えいただいた多くの方々も同様です。しかも、現在の美術館の建物が東日本大震災による未曾有の被災を乗り越えたにも関わらず、理由が県民会館の移転新築にあたり、少子化により50年先に財政難になる地方のために設けられた施設集約にかかる国の補助金制度を活用して整備をめざす施設として、すでに県がリニューアルを決めていた美術館がたまたま規模的にもちょうどいいのではないかとの案が浮上したこと、その話合いには、補助金制度適用期限がせまっているためか、彫刻作品等をどうするかということについての美術専門家を交えた検討もされていないこと、そういった状況下で別の新しい美術館を作ろうとしていること、これらの事実の全貌を知ったとき、果たして作家はどのようにお考えになるのでしょうか。

 移転に付随するそうしたことが契約に則っていて、作家に連絡を取る必要はなく、手続き上は問題のないことかもしれませんが、過去に、某大手企業の社長であった方が、ご自身の所有するルノワール、ゴッホの作品を「死んだら棺桶に入れてもらうつもりだ」と発言されたことで、「文化遺産を灰にするつもりか」と英仏の美術界から猛烈な非難を浴びたことはよく知られたエピソードですが、そうした事態を招くという可能性もお考えの上で、宮城県知事の責任のもと、計画を進められているのでしょうか。日本においては、ダニ・カラヴァン氏は、1998年に高松宮殿下記念世界文化賞を受けられていますが、その文化価値を宮城県としてはどのようにお考えの上、それを捨てる決断を下すのか、私どもの質問から推測いただけるものと考えております。ちなみに、その高松宮殿下記念世界文化賞のホームページの作家紹介では、「私の作品は他の場所に移せば死んでしまう。置かれた場所で息づくのだ。作品の中を歩いたり、音を聞いたり、においをかいだり、全身の五感をはたらかせてほしい」と記されています。

 現在、新型コロナの計り知れない影響により、世界中で生活が困難となる人々が今後大勢発生するということが想定されています。アンケートでは、芸術などに税金を使うのは無駄だという回答もみられました。死ぬか生きるかのとき、もしかしてそのようにお考えになる方もアンケート実施当時よりも増えているのかもしれないし、こんな時期に、他にすることがあるのではないかというお声も聞こえてきそうです。そうした方々に、県は新しい複合施設の必要性をどのように説明していかれるのかもお伺いしたいところではございますが、今回はその質問やめておき、これから少しご一緒に旅をしていただきたいと思います。

 旅と申しましても、これから実際に行くわけではなく、想像上の旅です。人間は、想像し、それを共有することができます。皆さまは、国内、海外にご旅行されたことがあると思うのですが、例えば京都なら神社仏閣、仏像を眺めたりされることでしょう、パリにいけばルーブル美術館へ、スペインに行けばガウディによるサグラダ・ファミリアの壮大な建築をこの目で見て見たいと思う方も多いのではないかと思います。そうしたこれまでの経験を活かし、私たちとスペインの小さな港町に旅をいたします。

 旅をする先は、バルセロナより北東の、フランスとの国境にほど近い、地中海に面したスペインの小さなポルトボウという港町です。地中海性気候の乾いた明るい空気のなか、小さな街中を通りぬけ坂道をいくと、切り立った小さな湾に辿り着きます。そこは集合墓地の入り口です。墓地の入り口に近づいていくと、手前の崖近く、地面から茶色の三角形の2枚の金属の板がつきだしています。それは、地中を通って崖の下に伸びた斜めの長い箱です。箱の中は人が一人か二人通れるぐらいの狭さで暗く、壁や天井と同じ金属で作られた急な階段が下に向かって続いています。入り口からは遠く下方に縦長の長方形に切り取られた青い海が明るく小さく見えています。階段を80段あまり下っていくと、途中で天井がなくなり、頭の上には青空が広がります。視界を遮る壁でまだ地中の中のように感じられますが、その先には青い海と白い波が見えています。階段を下りきった先はガラスの板で行き止まりになっていて、そこに、ドイツ語、スペイン語、カタルーニャ語、フランス語、英語で「高名な人たちの記憶よりも、名前のない人たちの記憶を顕彰することのほうが、ずっと困難である。名もなき人びとの追憶に史的構成はささげられる。」という文章が刻まれています。

 これは、ダニ・カラヴァン氏が思想家ヴァルダー・ベンヤミン氏の墓地に作った『パッサージュ ヴァルダー・ベンヤミンへのオマージュ』という作品です。ヴァルダー・ベンヤミン氏は、ドイツの思想家で、第二次世界大戦中、ナチスに追われてフランスとの国境ピレネー山脈をこえ、この地で命を落としそこに埋葬されたといわれています。ベンヤミン氏は、近代になって、写真や映像といった、それまではたった1つしかなかった絵画や彫刻といった作品とは違った表現が登場してきたときに、それらの違いについて考えた人としても有名で、『複製技術時代の芸術』という本は現在日本でも多くの人に読まれていますので、名前だけでも聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

 マイケル・タウシグという文化人類学者がいます。彼は、『ヴァルダー・ベンヤミンの墓標』という著作の『第一章 ヴァルダー・ベンヤミンの墓地−非宗教的な啓示』で、この作品と、ベンヤミン氏と、スペインという土地について詳しく書いています。この作品は、ベンヤミン氏も含まれるという集団墓地の入り口の前につくられています。スペインでは、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』という絵の題材となったことでも有名な激しい内戦が1936年から39年まであり、その戦争で民間人を含む多数の死傷者がでました。タウシグ氏は、スペインのいたるところで虐殺があり、虐殺があったその場所が、「集団墓地」そのもので、同じく、ナチスに追われた知識人たちが、スペインに逃げてきて、どうにもならずに自殺するようなこともごく普通にあったということをこの記念碑が明らかにしていると言います。今、私たちが立っているその場所は、まさにその地なのです。タウシグ氏はその文の中で、風景と、歴史との関係を明らかにしようと試みています。しかし、そこまで理解がいかなくても、強い光の中から一転、暗くひんやりとした狭い階段を下って地中海に臨む体験は、わたしたちに何らかの非日常的な気持ちを抱かせるのは間違いありません。再び、地上へ向かうために階段を上ろうとふりむくと、そこには今度は海ではなく、空の青さが切り取られた長方形がみえます。そして、旅はここで終わりです。

 それでは、ふたたび、アンケートの話に戻りましょう。アンケートには、2割の移転賛成者がおられます。その方々は、新しい美術館に今よりよくなるのではないかという期待を寄せています。新しい美術館の計画は移転が決まってから今度は美術の専門家を交えて考えるということですが、美術館は、作品を見せるだけではなく、収蔵と研究も重要な役割として担っています。宮城県がダニ・カラヴァン氏の作品をどのように考え扱うかは、これからどのような構想のもとに美術館を新しくつくっていくかを見定めるうえで、そもそもの出発点となることでしょう。ですから、私たちグループが提示させていただくただひとつの質問は、賛成者の方々の質問にもなりうるのです。

 そして、想像上の旅で体験されたように、美術を含む芸術とは、私たち人間の歴史、文化そのものをあらゆる形であらわしたものです。それを守るということは、私たち自らを守るということでもあります。だからこそ、冒頭にふれたようにドイツの文化相は『アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在』と断言したのです。こんにち、明日の生活にも困っている方々にとって、本当にそれどころではないのはよく理解できます。だからこそ、そうしたすべての今を生きる人々の小さな声が切り捨てられないためにも、こうした記憶が、様々なかたちで残っていくことが大切だと考えます。

 最後に、アンケートには数多く、個人の思い出の場としての美術館が語られています。それは、今回の移転の議論には単なる情緒的なものと片付けられてしまうのかもしれません。しかしながら、本当に偶然に、宮城県美術館で唯一壊されるかも知れない作品をつくった作家が、遠くスペインでつくった作品に刻んだ言葉が、「有名な人々よりも、名もない人々の記憶に敬意を払うほうが難しい」だったことをもう一度思い出していただきたいと思います。

 アンケート調査を試みたものとして、ただひとつの質問へのご回答をいただけますよう、お願い申し上げます。

宮城県美術館に期待と関心を寄せる有志グループ 一同

*参考資料「ヴァルダー・ベンヤミンの墓標」 マイケル・タウシグ著 2016年 水声社